久しぶりに読書感想文。宮部みゆきさんのR.P.Gを読みました。

 宮部みゆきさんの小説はたぶん一番たくさん読んでいて、とても好きなんですね。もちろん模倣犯とかも読んだのですけど、それはまた機会があれば書こうと思っています。

 小説は今64冊位読んでいて、そのほとんどがミステリー小説なんですが、それくらい読むと自分はミステリーでも、綾辻行人さんのような斬新なトリックがメインの新本格とかよりは社会派ミステリーが好きみたいです。

 今回のR.P.Gも社会派な要素があって、簡単なあらすじで説明するとネット上での疑似家族のハンドルネーム「おとうさん」が殺害されて、犯人は誰だってことになるわけですが、このネット上の「疑似家族」ってのがまさに社会派の部分でしょう。

 自分もミクシーとかツイッターとかアカウントを持っていますが、友達として登録する。「マイミク」とか「フォロー」とかそういうのも疑似友人って言えなくもない場合があったりしますよね。実はあったことないんだけど、友達ということにネット上ではなっているって事です。最近ではフェイスブックとか流行ってる見たいですね。セカンドライフはどこにいったのでしょう?

 僕は現在あまり熱心にSNSでの活動に取り組んでいません。ツイッターなんかは郡山に住んでいるバンド仲間とちょっとふれあいたい時に使ってますが、ミクシーなんてかなり放置ですよね。僕はネット上とは言っても嘘をつくのは良くないと思うほうの人間で、ネットだからこそ本音が出せる性質であるほうがオープンでよいと思っている人なので、ミクシーのような閉じた社会でマイミクさんに気を使ってあれこれ発言に制限されるような媒体には興味がないんです。

 ネット世界ってのはそういう本音をぶちまける事でスッキリする方法もあるけど、一方で現実世界ではなかなかできない事、いいところだけ見せ合って馴れ合うことも優しさを求める人にとっては必要なわけで、どっちがいいとか悪いとかじゃないと思うけど、こういう人同士は共生できない社会でもありますね。

 どっちかっていうと女の子は、かわいそうなアタシにみんな優しくして。だし、男の子は俺は本当は凄いんだぜ。強いんだぜとアピールするためにネットで頑張る傾向にあるように思います。僕はメンズなので後者でしょう。赤の他人に優しさを求めるほど現実の人間関係に恵まれてないわけじゃないけど、今の自分と理想の強い、立派な自分との間には差がありますし、そこをなんとかしたいと思っているのは事実でもありますから。

 話が逸れましたけど、そういうネット社会の人間関係ってのが結構面白く書かれていて、そこが一番の読みどころだったりします。どうして現実の家族がいるのに、まったく面識の無い人達と、「家族」になって、おとうさんとかお兄ちゃんとかおかあさんとか呼び合って仲良しごっこをするのか?

 そういえば昔、某バンド仲間とそんな事に似たような話をしたことがあるのを思い出しました。ママゴトってバッサリ切り捨てて無意味といってしまうほど、人間って冷たくもないと思うし、その優しさに救われる人だっているわけですから、意味はあるんだと信じたいですね。

 でも、そこはあくまでも疑似であることを心の隅に置いておかないとやはり良くもない。めんどくさくても、誰とも顔を合わせず生きていく事も出来ないのが人間ですし、眠くなるし腹も減る生き物である以上、現実を直視しないといけない部分がありますからね。

 ネットに限らず、人間関係ってものを色々考えさせられる内容です。僕らアマチュアバンドとかやっているような連中の人間関係ってのもちょっとネット的というか、そういう部分もあるかな。みんなで仲良く楽しい時間を過ごすためだったら、音楽ってのは手段であってなんでもいいわけですが、そこに半端にオリジナルやったりライブやったりして動員の事とかを考えると、自分達で楽しいってだけじゃすまない現実を直視せざるを得なくなっちゃったわけなんで。

 人間関係っていろいろ難しいですね。この小説を読んで思った事を話せる人がいるとなんかいろいろ深いお話が出来そうな気がします。機会があれば手にとってみてはどうですか?